KUBO Shunji, Hunter

羆撃ち (小学館文庫)

  • 人間

 沢筋を毎日歩き、新しい跡を探した。二日前に歩いた沢のそばのフキ原に新しい食痕があった。背の高さほどあるフキ原の中に一、二畳ほどの空き地ができていて、そんな場所が二、三カ所あった。フキを食った跡である。フキの茎の中ほどのところを食っている。糞の表面の乾き方から見ても、まだ落としたばかりのように新しい。空き地は迷路のような通路で結ばれていて、ササ藪へと続いている。倒れたフキの跡から進んだ方向を判断し、ゆっくりと追う。気がつくと、いつの間にか体を低くして、這うようにしている。立っていたときとは景色が異なる。葉を透かして薄く差す光は青く薄暗いし、湿った匂いがし、音までが違っている。立っていたときは目につきにくい地味な褐色の小鳥、ヤブバシリだろうか。か細い声でチッチッと鳴き、込み合った藪を伝っていく。そしてときどき小さな羽音を立てて少しずつ飛び移っていく。落葉の重なった中を、クモや他の虫が動いている。タニシのような形をした白い透けるような薄い殻で、ササの茎にしがみついている小さなカタツムリもいる。膝をついて周囲の様子をうかがうたびに、湿気がジンワリと膝の肌に冷たくしみてきて、腐った落ち葉の匂いが湧き上がる。ネズミがカサコソと落葉を鳴らし頭を出したりする。足元で圧し潰された小枝の折れる音が、小鳥の羽音と変わらないほどなのに、やけに大きく響くように感じられる。そんな藪の中を、羆はトンネルのような跡を残して歩いている。全神経が耳に集中されてくる。ゆっくりと、ゆっくりと跡をつける。どこに潜んでいてもおかしくはない。(久保穣治『羆撃ち』小学館文庫、2012、p76-77)

 強い風が夜半から吹いた次の朝。空は雪でも降りそうに暗かった。夜来の風でコクワの実も落ち尽くしてしまったようだ。それでもわずかに残っている黄色い葉を目標にしながら歩き出す。コクワを食べ出した羆は、ナラの実には見向きもしない。同じ個体がナラの実を食う時期とコクワを食う時期を変えているのか、それともコクワを好む個体とナラの実を好む個体がいるのか、そこのところは判然としない。
 さらに数日経ち、そろそろ携帯食料も乏しくなってきた。ときどきコクワを食べて食い延ばしてきたが、羆のようにそればかりというわけにはいかない。食べ過ぎで舌も荒れてしまっていた。幸い、追っている羆のコースは、コクワの稔りの良い山の下の方に向かっているようだ。そのまま行けば私のテントに近くなる。
 羆のかすかな跡をたどりながら小高い尾根に登りついた。向かいの斜面に素早く目を走らせると、視界のすみに何かが映った。もう一度見回す。小沢の奥の日の当たっていない暗いところに目を凝らす。葉がほとんど落ち尽くし小枝が絡まったようなところの下に何かがいる。そう思った瞬間、私の目に羆の姿が浮き出るように飛び込んできた。(同書、p94-95)