J・S・Mill

ジョン・スチュアート・ミルは、彼の父ジェイムズ・ミルによる幼児期からの英才教育のせいで早くから賞賛と成功を手に入れた人であるが、二十歳を過ぎた頃に、彼自身の言葉でいう無感覚の、失意の、憂鬱の、つまりは精神的にかなり危機的な一時期があったようである。そしてたぶんは父親のモルモット的な存在にすぎない自分を自覚し、そこからそれを乗り越えて父のたんなる傀儡ではない自己として、そのアイデンティティを再確立する過程において、彼はそれまでの人生観(幸福観)と芸術観を一新させたようだ。

今自分は幸福かと自問した瞬間に、人は幸福ではなくなる。幸福以外のものを人生の目的とすることが幸福になる唯一の道であり、そちらの目的の方を大いに意識し、吟味し、自問すべきである。そのうえで他の条件が幸運にも整っていれば、つまり幸福にこだわってそればかり考えたり、想像たくましく将来の幸福を思い描いたり、自分が幸福かどうかを気に病んでせっかく手に入りかかった幸福を取り逃がす愚を犯さない限り、空気を吸い込むように自然に幸福が訪れるだろう。私の人生観は、こうした考えに根ざすようになった。(J.S.ミル『ミル自伝』村井章子訳、みすず書房、2008年、ISBN:4622080788)p122

あの体験から私は、外に働きかける能力だけでなく内なる感受性も養わねばならない、そのためには感受性に養分を与えてゆたかに育て、上手に導いていかなければならないと気づいたのだった。と言っても、それまでに学んだことを一瞬たりとも忘れたり軽んじたりしたわけではない。知性を鍛錬する価値を疑ったことは一度もないし、個人や社会の改善にとって分析の能力と実行が欠かせないという持論も変わらない。ただし知性や分析がすべてではなく、その結果は他の面の修養によって修正する必要があり、さまざまな能力の間で適正なバランスを保つことが何よりも大切だと思うようになった。こうして感性の涵養が、私の倫理哲学思想を支える柱となる。(同書)p122-123

ミル自伝 (大人の本棚)