FUJII Yoshio, Ancient Greece

ギリシアの古典』(藤井義夫、中公新書、1966年、ISBN:4121001028)を読み始める。

 エピメテウス(Epi-metheus = after thought)はその名の語源が示すように、「後からの思案」を、プロメテウス(Pro-metheus = before thought)は「前もっての思慮」を意味する。したがって、神々によって死すべきものの創造が企てられたとき、まずプロメテウスが万物にもろもろの能力を配分し、あとでエピメテウスがそれを検分すべきであった。ところがこの順序が逆になって、エピメテウスが後先の考えもなく機械的な配分を行ったので、取りかえしのつかぬ事態が生じたのである。
 ここに必然と運命との支配する自然の世界が成立する。なぜなら、「必然」(Ananke アナンケー)の舵とりは三体の「運命」(Moira モイラ)の女神であり、それは運命を紡ぐクロートー(Klotho)と、運命を分かつラケシス(Lachesis)と、取りかえしのつかぬアトロポス(Atoropos)だからである。エピメテウスの贈物はまさしく自然(physis ピュシス)とよばれるものにほかならぬ。しかるに無防備のままに投げだされ、生活環境に適応した生存能力をもたなかった人間に対するプロメテウスの贈物は技術(techne テクネー)であった。このことは技術がもっている若干の基本的な性格を示唆している。
 すなわち、プロメテウスの知恵はつねに過去にではなく未来にむけられ、必然的なものを可能的なものに転換させる。したがって、テクネーはギリシア的な意味では、アリストテレスが言ったように、「一方では自然がなしとげえなかったものを完成し、他方では自然を模倣する」(『自然学』199a15-16)。というのは、プロメテウスは「他の動物については万事都合よくいっている」と思われたエピメテウスの配分をみとめながら、放置された人間に対する配分を完成しようとしたのだからである。p53