Herodotus, Ancient Greece

『歴史(上)』ヘロドトス、松平千秋訳、岩波文庫、1971年、ISBN:4003340515)を読み始める。
人間界の出来事が、偉大な驚嘆すべき事跡の数々でさえ、やがて時の流れと共に忘れ去られることを恐れて、とりわけギリシア人とバルバロイたちとの戦いを、その原因や事情を、書き述べておこうとする歴史家は、しかしそれぞれの国の人たちが伝えるところのものを、それが真実そうであったかどうかを論じるつもりはないという。

私自身がよく知っている、その人物の名をここに挙げ、つづいて人間の住みなす国々(町々)について、その大小にかかわりなく逐一論述しつつ、話を進めてゆきたいと思う。というのも、かつて強大であった国の多くが、今や弱小となり、私の時代に強大であった国も、かつては弱小であったからである。されば人間の幸運が決して不動安定したものでない理を知る私は、大国も小国もひとしく取り上げて述べてゆきたいと思うのである。p12

叙述にあたって、まずは上のように述べるヘロドトスは、さすがに見上げた態度であるが、彼自身は、ヘレネトロイアではなくエジプト王プロテウスのもとにいたと考えていたようである。彼女がもしイリオンにいたとしたら、アレクサンドロスの思いにかかわらず、ヘレネギリシア軍に返されたであろうと。

プリアモスも彼の近親たちも、アレクサンドロスヘレネと同棲させるために、わが身、わが子、わが国まで危険に陥れようとするほど乱心していたとは考えられぬからである。よしや彼らがはじめの頃はそのような考えを抱いていたとしても、ギリシア軍と戦うたびにトロイア方は多くの戦死者を出し、また−−もし叙事詩人たちを典拠にして物をいってもよいものならば−−プリアモス自身の子らも、戦いのあるたびに必ず、二人、三人乃至はそれ以上も戦死してゆくとなれば、そのような事態に直面しては、かりにヘレネの夫がプリアモスその人であったとしても、眼前の危機を逃れるためには、プリアモスヘレネをアカイア軍に返したであろう、と私は思うのである。p234

トロイア方はヘレネを返そうにも返せなかった。ありのままをいったトロイア人の言葉をギリシア人は信じなかった。そしてこう述べるのである。「これこそ、大いなる罪過に対しては、神の降し給う罰もまた大きい理を、全滅の悲運を蒙ったトロイアを例として人間に明示しようという、神霊のはからいであったのである」と。