OSHII Mamoru, Deleuze, Zupancic, Badiou

スカイ・クロラ The Sky Crawlersを観てきた@ブルク7。始まりを描いた映画だった。君たちも始めなければ、というよりは、君にも始めることができるだろ、って感じの。

ドゥルーズにおいて永遠回帰とは「同じものの回帰」なのではなく、反対に、同じものが決して回帰しないということを意味している。くり返されるのはつねに異なるものであり、「異なるということ」が恒常的なのである。いいかえれば、生成し変化することが「同じ」に留まり、自己自身と差異化し続けることが「永遠にくり返される」ということだ。(『ドゥルーズ キーワード89』芳川泰久&堀千晶、せりか書房、2008年、ISBN:4796702830、p42)

変わろうと意志すること、新生に向けての真摯な試み。


追記
アレンカ・ジュパンチッチ『リアルの倫理 カントとラカン(冨樫剛訳、河出書房新社、2003年、ISBN:4309242812)を読み始めて、「訳者あとがき」を読んでいたら、アラン・バディウ*1の独特の人間像、とりわけ「倫理」における主体としてのそれをまとめた部分に、次のようなくだりがあった。

 つまり、文字通りの「人間」、単なる動物とは異なるものとしての「人間」は、「犠牲者」の内にではなく、「犠牲者の内にありつつも『犠牲者』というアイデンティティとは一致しない部分」に見出されるべきである。それは、「実際彼がそうであるところのものであり続けようという頑迷なまでの決意」、「犠牲者や『死に向かう存在』とは違う何かでありつづけよう、死すべき存在とは違う何かでありつづけようという固い意志」の内に見出されるべきなのである。「不死なる者−−その身にふりかかる最悪の状況において、〈人間〉が不死であることが明らかになる……」(以上、『倫理』第1章より)。

ドゥルーズ キーワード89

*1:バディウは、ジュパンチッチに大きな影響を与えた哲学者(・劇作家)として紹介されている。訳者は英訳版から自身で翻訳したものを引用・紹介しているが、本書刊行時に邦訳のなかったバディウ『倫理 〈悪〉の意識についての詩論』は、長原豊松本潤一郎による邦訳が2004年に河出書房新社からでている。ISBN:4309243010