Lévi-Strauss, anthropology

野生の思考『野性の思考』(クロード・レヴィ=ストロ−ス、大橋保夫訳、みすず書房、1976年、ISBN:4622019728)の一部を読み返す。

  • コギトの虜囚−−人間を通じて学ばれた真理は世界に属する

 したがって、私の展望の中では、自我は他者に対立するものではないし、人間も世界に対立しない。人間を通じて学ばれた真理は「世界に属する」ものであり、またそれゆえにこそ重要なのである。だから、私が民族学にあらゆる探究の原理を見出したのに対し、サルトルにとっては民族学が、乗り越えなければならぬ障害、粉砕すべき抵抗という形で問題を作り出すものとなるのは納得できる。なるほど、人間を弁証法によって定義し、弁証法を歴史によって定義したとき、「歴史なき」民族はどういう扱い方ができるのか? ……。しかし、どちらの場合にしても、風俗、信仰、慣習の驚くべき豊かさや多様性は捕捉されないし、つぎのことが忘れられている。すなわち、現在の地球上に共存する社会、また人類の出現以来いままで地球上につぎつぎ存在した社会は何万、何十万という数にのぼるが、それらの社会はそれぞれ、自らの目には、−−われわれ西欧の社会と同じく−−誇りとする倫理的確信をもち、それにもとづいて−−たとえそれが遊牧民の一小バンドや森の奥深くに隠れた一部落のようにささやかなものであろうとも−−自らの社会の中に、人間の生のもちうる意味と尊厳がすべて凝縮されていると宣明しているのである。それらの社会にせよわれわれの社会にせよ、歴史的地理的にさまざまな数多の存在様式のどれかがただ一つだけに人間のすべてがひそんでいるのだと信ずるには、よほどの自己中心主義と素朴単純さが必要である。人間についての真実は、これらいろいろな存在様式の間の差異と共通性とで構成される体系の中に存するのである。p298-299