MIYAZAKI Goro,

コクリコ坂から@シネピピアめふ。
懐かしい。懐かしすぎる。画面に出てくるものが。出てくるものの動きまで。
宮崎吾朗は、(前作に比べて)よくやったと思うが、映画としては「ポニョ」のほうが、私としては面白かった。
動く画としての面白みでいうと、オヤジさんのほうが試みとして奔放というか大胆な気がする。オヤジと比べるのも何だが。
しかし、これで彼も次作はもう少しチャレンジできるのではないか。

TAJIMA Masaki,

正義の哲学 (道徳の系譜)

正義の哲学 (道徳の系譜)

以前に書かれていたものと重なる部分もあるが、インタヴューがもとになっているせいか、レトリカルな部分が抑えられていて、文意がストレートに伝わりやすくなっている印象を受けた。読んで元気が出るが、煽られているようでは意を得たことにはならない。ニーチェしかり。

a strong earthquake

11日
軽い、しかし揺れの周期の長い、地震を感じた。最初は目眩かなと思ったが、そうではなさそうなので、念のため共同研究室に行き、同僚たちに確かめたら、やはり地震だという(気づいていない人もいた)。後からわかったのだが、震度は3であった。
テレビをつけてみたら、東京が映った。多くの人々が屋根のない広場のようなところに出てきている。避難しているのだろうか。担架が地面に並べられている場面もあった。しかし間もなく東北が大変なことになっているのを知った。
ライヴで、とんでもない画像が次々に映し出されるのに釘付けになって動けない。信じられない光景だったが、家に帰っても、朝を迎えても、その次の日になっても、まだまだ目を疑うようなシーンがどんどんTVに映し出される。何もできないままTVの前を動けないでいた。


12日
とは言っても、土曜日は新しく購入した車をディーラーまで取りに行き(車はちゃんと届いていた。これが少しあとだと納車は遅れただろうか)、その足で篠山に炭火焼き肉を食べに行き、近くの温泉で風呂に入って帰ってきた。彼我の違いを思い、だからこそこの幸せを心から味わおうと思った。


13日
日曜日もたいていはTVの前で呆けていた。自然物も人工物も見境なく、自分より低い位置にあるものはすべて呑み込んでゆく大量の水の圧倒的な力を写し出す画面を眺めては、ただただ呆れていた。
夕食には餃子をつくった。具を皮に包むのは娘に頼んだ。「ベーコンと菠薐草炒め」と「トマトとオクラと梅干しの入った卵とじスープ」とを合わせて食べた。餃子の具の白菜を絞りすぎなかったのがよかったのか、ジューシーでとても美味しかった。

a quarrel on the last day of the year

Wホテルのラウンジで和食のモーニング。妻は洋食のそれ。朝から何とも贅沢な時間を過ごす。川面を流れのままに流されていく水鳥を包む冬枯れた景色を堪能。
午後、しかし娘の過去(進学)と未来(就職)のことで妻と口論になる。私は自分の考えを押しつけていないつもりでいたが、私には強い学歴コンプレクスがあり、どうやらそれを深く傷つく形で彼女たちにぶつけていたようだ。妻も今までにない口調で辛辣に指摘し強く抗議した。
私は発作的に離婚を考えたり、自殺を考えたりした。持っている本を捨ててしまおうとも考えた。強く反省し、どうかして行動に表したいと思った。今年が終わった。

SASAKI Ataru

危うげに感じる所も窺えるが、たしかに元気づけられる一冊だ。勢いという点では、図書新聞のインタヴューのほうがあった気がするが、それはこの本に「ルター」や「ムハンマド」の、あるいは「中世解釈者革命」の、「内容」が、少しく簡潔にとはいえ詰め込まれているせいだろう。「文学」の力を、読み通し、書き続けることの意義を、再確認する思い。
つまみ食いだけで積ん読状態のままになっている前著『夜戦と永遠』を今度は読み通せるかも。田崎英明『無能な者たちの共同体』を読み返したくなった。

Nara

奈良にバス旅行。午前中は、奈良国立博物館で開催中の正倉院展を見る。9時半頃会場に着いたが、120分待ち、との標示に怖じ気づく。実際には80分ほど行列に並んで入場。修復が行き届いているせいか、螺鈿紫檀五弦琵琶はさすがに美しかったが、それよりなにより人が多すぎて、幾多の珍宝があっても落ち着いてみられたものではない。
午後からは加茂に浄瑠璃寺岩船寺を訪ねる。浄瑠璃寺はやや線の細い感じの住職の息子さん、岩船寺は年配ながら野太い感じの住職。何度も同じ話をしてきたのだろう、単に面白いだけでなく、人間味が話に滲み出ていて、何とも味わい深い。