The Archipelago

  • 『グラディエイター』Gladiator(2000年、英・米、リドリー・スコット監督)→マルタでロケをしているようだ。

マルタの後遺症か、あるいは『トロイ』のそれか、これらの映画を見た。イメージを並べてみるまでもなく、かなり暑苦しいし、これにさらに言葉を連ねることには抵抗がないわけではないが、まあなかでもいちばん涼しげに感じた映画について少し書いておこう。
『トロイ ザ・ウォーズ』Helen of Troy(2003年、米、ジョン・ケント・ハリソン監督)というTVMがあって、これもDVDで見た。やはりマルタでロケをしているようだ。
まず(長い金髪が眩しいはずの)アキレウスに髪がない、このとりあえず肉体だけは立派なアキレウスアガメムノンに敵対する場面がない(ブリセイスがでてこない)、パトロクロスが出てこない、ヘクトルの活躍がほとんどない、プリアモスでなくヘレンがヘクトルの遺骸を引き取りに行く、といった描き方には不満が残る。
トロイの滅亡をもたらすと姉カッサンドラに予見されたパリスが父プリアモスに捨てられ、しかし羊飼いに拾われ育てられることになるという彼の出生と生い立ちを描く場面、洞窟で微睡んだパリスの前に美を競う女神たちが現れて彼に審判を請い、ヘラが与えるという世界を支配する権力か、アテナが約束する戦での勝利という名誉か、それともアフロディテが差しだす美しい妻をとるかを迫られ、彼がアフロディテが手にする水晶を覗くとそこにヘレンがいて、その美に見入るパリスをまたヘレンがスパルタの地で面前の水面に見ているという、二人が結ばれる運命を描く場面、彼女の天真と美しさが男たちの欲望に火をつけ*1、まだ少女のヘレンがテセウスに誘拐され、スパルタ王テュンダレオスが父ではなくゼウスが本当の父だったという不幸な?出自*2を知らされ成長した彼女がさて兄によって奪還されるときには、彼女に思いを寄せた男たちがいずれも命を落とすことになる運びなど、要所を押さえたうえで、それらを手際よく見所にし、しかもテンポよく軽快に展開していく前半の場面をとくに面白く見た。
長男たちの自負と横暴、父親たちの威厳と脆弱、少女の無垢と奔放、母親たちの愛情と怨念、それらよりもいちばん気になったのは「弟たちの優柔と悲哀」だろうか。それは、互いに敵でありながら、神々の気まぐれによって可能になったとしか思えないような、「同じ女に惚れた男同士」というよりも「二列目の男」である「弟同士の交感」といったほうが、よりふさわしく思えるような男たちの姿として、描かれている。

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*1:この作品ではメネラオスが偶然(取り決めによって希望者全員の指輪を空中に投げ上げ、下に置いた壺にいちばん近い指輪の持ち主がヘレンを手に入れることになるが、結果メネラオスの指輪が壺の中に入る)によってヘレンを手に入れますが、エウリピデスの『アウリスのイピゲネイア』では、ヘレネ自身が(アプロディテの気紛れのままに、とされているのではあるが)メネラオスを選んだということになっていて、アトレウスの一族に災厄をもたらす悪い女という一面的な位置づけで背景に置かれています。また、この作品のイピゲネイアは、まだあどけない幼女という設定で、父親の立場を慮って神々への(直接にはアルテミス女神への)供物としてその身を捧げる決意をするほどの知恵も勇気も、とても持ち合わせてはいません。そして神の憐れみによって牝鹿がその身代わりとなり、彼女自身は別天地に救われる、などという奇蹟もありません。『アウリスのイピゲネイア』でも示されていた、妻や娘に犠牲を強いたアガメムノンの、夫としての、また父親としての苦悩が、より浮き彫りにされるかたちで描かれています。

*2:エウリピデスは『トロイアの女』では、アンドロマケに「ああヘレネよ、そなたがゼウスの娘とは、とんでもないこと、そなたの父親は一人や二人ではありません。まず第一は、禍の神、第二には憎しみの霊また血に狂う悪鬼や死神、さらには大地の育む限りのあらゆる悪霊を父として、そなたはこの世に生れ出たのです。ギリシャ人と否との別なく、かほど多くの人間に不幸の種となったそなたが、ゼウスのお子であるなどと、死んでも私はみとめません。」と発言させたりしていますが、『ヘレネ』においては、ヘレンはパリスに誘拐されてトロイアに連れ去られたのではなく、神々の謀によってエジプトに匿われていた、連れて行かれたのは雲から作った人形だった、そんな設定でヘレンの「無罪」を主張したりもしているようです。