TAJIMA Masaki, Heidegger

『読む哲学事典』田島正樹講談社現代新書、2006年、ISBN:4061498398)を再読する。「アキレスと亀」の解釈4にあらためての笑い。説明してしまうとユーモラスでなくなってしまうという性格をもつ「ユーモア」についての叙述にもセンスを感じる。先のエントリーとの関連で目についたのは、現象学の根本的欠陥についてふれた部分でルカーチとマックス・シェーラーとの対話を引き、ついでに『存在と時間』の短所をズバリと指摘している箇所*1である。
今回引くのは反実在論の立場から「未来」についてふれた部分(「本質と時間」)。

 それなら、未来の出来事は存在せず、指示できないにもかかわらず、何ゆえ我々は未来の観念を持つのであろうか? 何が我々を、この実在しない時間へ向けて思惟可能にしてくれるのか? 未来が非存在であるとすれば、その存在しない未来について、現在において考えることを可能にしているものとは何か? そして、反復する運動とは違って、現在の延長として理解することのできないものこそ、新しい意味をもたらす出来事の生起、すなわち意味の生成であるとすれば、意味の生成というものを、未だ意味が生成していない現在において、理解可能にしているものは一体何か? 言い換えれば、現在において、未来を先取りしている存在−−その理解にこそ、我々の未来という次元の理解が依存し、それとの連関で初めて、現在の指示の延長に基づく語りにも、未来としての意味が与えられる−−そのような存在とは何か?
 それは、問題という存在である。p228-229

メシアの到来という預言者の言葉を、単に夢想的期待としてではなく、謎として希望として理解した人たちがいたのであり、その中にこそ、他に還元不可能な未来了解がはらまれているということである。彼らは、その謎の意味を十全には理解し得ないままに、そして自分がそれを知らないということを理解しながら、なお、それを希望として、いずれ解かれるべき問題として、受容したのである。
 将来に到来するものの超越性、現在のものには還元できない超越的実在性の余地を残すためには、未来の出来事に対して反実在論をとることが不可欠である。逆に、未来事象についての実在論は、未来了解が何か現在を超越する実在性を持ち得ることを否認し、現在の延長でしかないかのように見なすことによって、かえってその真の実在性を排除するものでしかないのである。p231-232

読む哲学事典 (講談社現代新書)

*1:ハイデガーの『存在と時間』は、伝統的な存在論の課題を反復するという意図を表明した点で、画期的であったにもかかわらず、存在論としては、(用具)存在の意味の分析がもっぱら意味の製作モデルに終始してしまっていた点で、アリストテレスの場合より、はるかに後退した貧弱な内容にとどまってしまっている。現存在分析(人間存在の解明)においても、〈不安〉など興味深い論点を扱っているにもかかわらず、言語という方法上の要の点を見失っているために、古臭い内観心理学を大きく超えるものにはなっていない。これに比べてフロイトは、主体の発話を手がかりに、はるかに根源的な洞察に至っている。夢とか、言い間違いとか、機知などの分析を通じて、無意識や反復強迫の発見に至る道である。」p143