NAKAI Hisao, psychopathology

『臨床瑣談』中井久夫みすず書房、2008年、ISBN:4622074168)を読む。やはり中井氏の文章は、わたしの精神にとって、興奮剤であるとともに安定剤である。

実際、診察は患者にかかる負荷を最小限にしなければならない。私の頭の中に描かれた地図は多くの部分が点線で描かれた大航海時代の古地図であった。時間が経つとともに、それは明確な地図よりも、模様のはっきりしない絨毯のような広がりになった。しかも模様は変転し、揺らぎ、ざわめいていた。模様にはにじみも中間部位も重なり合いもあった。こういう絨毯は患者ごとにも、ある病いにも、精神科の病い全体にもあった。p14

第一章「虹の色と精神疾患分類のこと」では、中井氏が「言語学者の有馬道子さん」(『パースの生涯』の翻訳をされたあの人のことだろうか?)からもらったという本『基礎色名』(バーリーン&ケイ)の末尾にある巧みに工夫された付図がくわしく紹介され、「色」と「分類」に関する問題がさまざまな視点から考察されていく。
中井氏はここで、「問題」に向きあうときに自身に課している「態度」を明らかにしてみせているのだが、その表明は小声で囁かれているかのように控えめながら、それだけにかえって鮮明に聞こえてくるのである。そしてそれは、「院内感染」「サルヴェージ作業」「ガン」「丸山ワクチン」「軽症ウイルス性脳炎」などを話題にする他のどの章にも、通奏低音のように鳴り響いている。

 私は、ある時期から、診断は「治療のために立てる仮説」と考え、患者にもいうようになった。仮説だから、患者との相互関係の中でたえず微調整され、時には大きく変わり、最後まで仮説の性格を失わなくて当然である。この考えは私をかなり楽にした。診断という行為の中で患者と医師とが出会える場所(meeting place)はここしかないと私は思った。p14-15

もちろん、臨床応変とでもいうべきこうした「仮説」的な態度とは、たんに病名の「診断」においてのみいわれているのではない。治療という実際の「行為」全体においていわれているのである。

臨床瑣談