HIGAKI Tatsuya, Foucault, contingency

『賭博/偶然の哲学』檜垣立哉河出書房新社、2008年、ISBN:4309244556)を読み始める。
九鬼周造の偶然論をドゥルーズのそれと対照させつつ、その「ポテンシャルや問題性」を指摘する第二章「賭けることの論理 九鬼とドゥルーズ」が面白い。フーコーの生権力論や生政治学に関する議論には、まだまだわたしの理解では及ばないところがある(第三章「賭けることの倫理 リスク社会と賭博」)。
次の箇所が気になったのは、たまたま、いま自分が考えていること(「自己が自己に関わること」「自己であることへの介入」)と重なるところがあるからである。

 フーコーが、自己のテクノロジーとして捉えていたもの、あるいはそこで想定されている自然への(自然としての自己への)介入の概念こそが、ここでの能動性の発生に位置づけられるべきである。能動性とは、自然的な実在であるわれわれの身体やその環境を、コントロールをなすことによって扱う具体的な知のことである。われわれ自身が自然であることを考えれば、そもそもテクノロジーとは、はじめから自己へのテクノロジーのことではないのか。自己が自己に関わることそのものが、テクノロジー的な装置による、自己であることへの介入である。それが統治をなすことである。確率的な存在をコントロールすること。テクノロジーによってそこに幾分かの受動性の調整を、能動性の萌芽として企てること。これが、自己である賭けの内容をなしている。統治においてコントロールする自己とは、賭博的主体のことである。私があるということに伴う賭けを、それ自身としてポジティヴなものとして示すこと、それが統治における倫理の役割である。p149-150

実際に競馬場に行ってみたくなる(第一章「競馬の記号論」、終章「賭博者たち」)のも本書の魅力の一つだろう。


追記
同じ著者の別の著作(『生と権力の哲学』、ちくま新書、2006年、ISBN:448006303X)で、おさらいしておこう。檜垣氏は、フーコーはそもそも「西洋近代において、『真理への意志』を具現化する、超越論的−経験論的二重体としての『人間』の形成と解体とを探る」試みをしていたのだが、〈生政治学〉を論じるに至る70年代以降、その思考に大きな姿勢の変化があったとし、それを「『排除』のロマンティシズムから、『生産』のポジティヴィズムへの移行である」とまとめていた。

 「禁止」と「分割」という「排除」の議論において、「人間」とその「正常性」の成立を思考していたフーコーは、いわば、「人間」を、その「認識」の条件において見いだす傾向が強い。それは、まさに「言語」の場面で遂行される「分割」である。この段階の、いわば知の『考古学』がスローガンになる時期のフーコーは、認識の閾を探るというエピステモロジーの方法論を、言語論的に展開させながら、正当に引き継いでいる。
 しかし、より実践的な色彩が強くなる。力の「系譜学」を扱う権力論へと移行するにつれて、フーコーの発想は、「人間」とその外部との排斥関係ではなく、むしろ「人間」を形成する力の組成こそに着目しだす。「非人間」であるものが、どのように「人間」を生みだしていくのかを辿ることが大きなテーマとなる。「人間」という形象が、どのような「非人間」の力に晒されながら、超越論的−経験論的二重性という、危うさを秘めた構造体として現れるのかが探られるのである。(上掲書p072-73)

この転換において、フーコーの思考の基軸は、「『言説』の装置が含意している『排除』的な分節化という原理が、『生命』に備わった、秩序の『生産』という論脈に移行」するかたちで変化したと指摘されるのだが、晩年におけるフーコーは、さらなる変貌を見せる。扱う時代が大きく拡張され(ギリシア)、議論のテーマも変わっていく(「自己」)のである。しかし檜垣氏は、そこで論じられる内容については「『真理への意志』にまつわるテクノロジーの探求の延長上に位置づけられる」、「〈生政治学〉の議論の原則を保ったまま、それがもつポテンシャルや問題性を繰り広げていったものとしても扱いうる」として、次のように述べていた。

 生のシステムにおいて、「抵抗点」として読み解かれる「自己」とは、もはや超越論的な「私」や、システムを超越的に統括しうる「主観性」ではない。むしろ「自己」とは、システムの働きのなかで、それが自己触発的に屈曲して形成していく場の一つである。つまり、フーコーによる「自己」の主題化は、監視社会や管理=コントロール社会という〈生政治学〉的な権力の現場で、それに対する「抵抗点」として立ち現れる「生」の可能性を探るものとして読み解くことができるのである。(同書p79-80)

フーコー晩年の著作は、まだきちんと読んでいないので、これから。

賭博/偶然の哲学 (シリーズ道徳の系譜)