Venus, Jupiter and a crescent moon

澄みわたった冬空に浮かぶ三日月と二つの星を見やったとき、思い出したのは宮澤賢治が描いた、ひとつの水彩画だった。そしてやはり同じくらいに大きく輝いて近くにあるはずの(あるはずのない)、あと二つの星を探していた。
薄暮に近い時間だろうか、厚みのある壁のような空にひびを入れて、できたその裂け目の向こうから、半分だけ顔を見せているのは、夜である君自身なのか、だとすれば、今まさに終わろうとしているのは、出会い損ねるしかない彼女の昼ではなく、君の夜のほうなのか、心配そうにご機嫌をうかがう君の視線の先に、四つの星をしたがえた玉蜀黍のような月が、黒い頭髪を乱しながら、しかし何を憤っているのだろう、あるいは裏面(ダークサイド)だけは見せまいと、私に調子を合わせることに疲れたか、短い草を生やし、やはり蒼い夜色した私の表面(おもて)にも深い亀裂があって、その割れ目の底から、細長く丈高い草が五本、何かを求めるひとの腕のように、空に向かってのびている、穂先はやはり、五指をひろげた手のひらのように、風になびいている、そのうちの二本はすでに、ごくうすい肉色に染まりつつある彼女とももう見分けがつかなくなって、ああ、消えかかっているではないか!
確かめてみると、賢治の絵の月は、上弦に向かう月齢の浅い(西空に見える夕方の)月ではなく、もはや下弦を過ぎて顔を右に向けている(東空に見える明け方の)月であった。