Ota Yoshinobu, Anthropology of Traces and Surprises

『亡霊としての歴史』太田好信人文書院、2008年、ISBN:4409530372)を読み始める。

  • いま救済が必要なのは、文化ではなく、人類学のほうである。人類学は、近代を生きる先住民たちのように、変化を余儀なくされつつも、果たして生き残ることができるのだろうか。過去をただ懐かしむのではなく、過去に遡りつつこの死亡宣告を受けた学問を革新し甦らせるにはどうすればよいのか。著者の問題意識はここにある。
  • たとえばマイケル・タウシグ Michael Taussig, Walter Benjamin's Grave (Chicago: The University of Chicago Press, 2006).という本がよみたくなったり。
  • ルース・ベネディクトを再評価する第八章も面白く読む。

 クリフォード(Clifford, James)は「データはテクストからテクストへと移動し、書き込み(インスクリプション)は転写(トランスクリプション)になっている。インフォーマントと調査者の両方が、文化創造の読者(readers)であると同時に再度文化を書く人(re-writers)なのである」(強調原文)という。民族誌を書くことは、民族的資料が流動化し、読解が複数化した結果、民族誌家が自らの観察や経験を書き込むという一方的な行為ではなくなる。それは過去の民族的資料をいま起きつつある文化復興に不可欠な資源として利用する活動からも分かるように、インフォーマントも民族誌家と同じ機能をはたす社会的過程として一般化されるのである。p56

 法によって「返還」が可能になるとき、それは暴力によって簒奪がおこなわれた過去−−イシの脳がそうであったように−−を可視化せざるを得ない。その過去は拭い去ることのできない記憶−−実在はしないが、その存在を否定できない「亡霊」のように現在に憑きまとうもの、すなわち痕跡(トレイス)−−となり、現在に回帰してくる。だからといって、人骨や器物を部族に対して返還すれば、そもそものその人骨や器物を入手した歴史−−に終止符が打たれるわけでもない。ワギ人が市場における(一回限りの)商取引関係を、(反復する)互酬性というメラネシア的概念に翻訳しているように、返還という関係において、植民者たちは植民国家成立における暴力の歴史の記憶によって、先住民と結びつけられるのである。
 返還という関係において、先住民たちが強調しているのは、自らの文化を物象化し、その所有を宣言しているにすぎないという、いわば「アイデンティティの政治」を展開しているという解釈の他に、また別の解釈が可能ではないだろうか。征服における土地、言語、文化の簒奪の歴史が回帰し続ける社会において、「アイデンティティの政治」はある集団の権利請求の声ではなく、そのような声をあげざるを得ない現状と同時に、その歴史がいまだに閉塞していないこと、いまだにその歴史を語りなおす機会が残されており、それに参加することを誘う声である、という解釈は強引だろうか。その語りなおしをとおして、はじめて開かれる未来への道があると思われる。p129-130

 ある英国人が、世界とはカメの甲羅に乗った象の背中の上に置かれた板の上に乗っているといわれ、それでは、カメは何の上に乗っているのか、と訊いた。答えは、別のカメだ、である。それでは、そのカメは。「旦那、それ以降はずっとカメだよ」。〔この逸話のように〕文化分析は、内在的に不完全である。さらに、悪いことに、文化分析はそれを進めれば進めるほど、不完全になる。〔……〕〔文化〕人類学は、合意を達成することによってよりは、論争を精緻化することによって、その進歩が特長づけられる科学である。

 いまでは、このギアツ(Geertz, Clifford)の発言すら、忘れ去られつつあるのかもしれない。いたるところで、文化人類学者も法廷に証人として召喚される。もしギアツのことばが正しいのなら、そもそも文化人類学的知識は、白黒をはっきりと決着させる法廷にはなじまないタイプの知識であろう。また、文化人類学者は社会変革を目指すアクティヴィストとして二足の草鞋をはくようになってきた。そういう文化人類学者は、フィールド調査の結果は現地の人々に還元されるべきだという。けれども、誰でも利用できる再帰性を欠いた情報など、フィールド調査からは生まれないのではないか。あるいは、誰でも利用できる知識は、どれだけ文化人類学的といえるのだろうか。p181-182

亡霊としての歴史―痕跡と驚きから文化人類学を考える (叢書・文化研究)