MINATO Chihiro, Maurice Blanchot

愛の小さな歴史『愛の小さな歴史』港千尋、インスクリプト、2009年、ISBN:4900997250)を読む。

わたしたちがここで対象とするのは、評価の定まった完成作品ではなく、この映画が作られる過程である。特に手紙、ノート、写真といった作品の背後に散らばっている、それ自体がすでに過去のものとなっている資料を直接の材料にして、映画が作られた時代と都市のありようを再構成してみたい。
 その途上で、メディアと身体のテーマが取り上げられると同時に、歴史と記憶についても考察が加えられる。
(……)
 ある「かたち」が時空を超えて、文化の異なる場所に生き延びることの不思議から、美術史家アビ・ヴァールブルクは独創的な思想を生み出した。生き延びた女性と男性の物語を、その細部においてたどりながら、わたしたちはある認識の形式が、たとえば「瞬間」と呼ばれる経験が、神話時代から極限状況の証言にいたるまで、時空を超え、異なる場所に生き延びることについて、知ることになるだろう。p12ー13

 『文学空間』で、ブランショは死者たちのいる場所、冥界へ降りてゆくオルペウスの歩みにしたがって、夜とその彼方に開ける「もうひとつの夜」を探求した。夜には日付がない。夜と昼とを対立させ、それぞれのうちにある運動を対立させながら、ブランショは、死は公共であると考えていた。死においては近さと遠さを区別する必要はない(「文学と本源的体験」、『文学空間』所収)。

なぜならこの夜は、掟をもつと同様に(…)真理をもっているからだ。こうしてギリシア人にとっては、暗黒の宿命に屈服することが、すなわち精神の平衡を保証することであったのだ。(…)だからこそギリシア人にとっては、「夜」の娘たちが辱めを受けぬことが、と同時に、彼女たちが定住すべき固有の領土をもち、さまよい歩いたり捕らえがたいものになったりせず、控え目に振る舞うことが、控え目であるという誓約を固く守ることが、あのように肝要だったのである。

 ヌヴェールの過去を告白することは、それまで誰にもしなかったことだった。彼女の夫にさえ、明かさなかったことであり、それは誰にも入ることのできない領土なのだった。彼女は言う。
 「わたしは、その瞬間を経験してしまっていることを、望ましいことだと思うわ。その比類のない瞬間を」
 彼女もまた、死と秘密の友愛に結ばれたのだろうか。彼女は彼に聞く。
 「ねえ、ヒロシマでは、夜はいつまでも終わりにならないの?」p202ー203

 それはおそらくイメージを探求する者すべてが、すでに感じているかどこかで知っていることであろう。彼女や彼は本質的に自由なのだ。見てはいない、あるいは見てはいけないと幾度言われようが、振り返ることそのことによってわたしたちは「瞬間」のなかにとどまることができるからである。

オルペウスの注視とはかくして自由の究極的瞬間であり、注視が注視自身から自由になる瞬間、さらに重大な結果として、注視が作品をその心労から解き放ち、作品のなかに抑止されている聖なるものを解き放つ瞬間、聖なるものをそれ自身に、その本質の自由に、自由であるところのその本質に与える瞬間である。(…)こうしてすべては注視の決断のなかで演ぜられる。

 注視すること、見ること、それは体得できることなのだと、彼女は彼に言った。彼女もまたもうひとりのオルペウスだったのである。そしてその言葉どおりにカメラを首からぶらさげて、彼女は人間の生きている街へ、歩き出したのだ。p211

HIROSHIMA 1958