IMAFUKU Ryuta, Borges, Jabès

身体としての書物 (Pieria Books)『身体としての書物』(今福龍太、東京外国語大学出版会、2009年、ISBN:4904575024)を読む。

  • 一冊の書物としての世界

 最後に、講義の冒頭で言及した山口昌男『本の神話学』所収の「カバラの伝統−−ゲーテフロイトボルヘス」から、興味深い文章を引用しておきましょう。


 ところで、われわれの世紀で〈世界の本〉にもっとも執拗にかかずりあっている人たちの一人として、ボルヘスを挙げるのに人はほとんど異見をさしはさまないであろう。『来るべき書物』の中でブランショは、このようなボルヘスについて、「書物とは、彼にとって原理的に世界なのであり、世界とは一冊の書物である。……かくして、世界は、もしそれが一冊の書物のなかに正確に移し入れられそこでくりかえされうるとすれば、いっさいの端緒といっさいの終末を失うことになるだろう。そして、あらゆる人間が書きまたあらゆる人間がそこに書かれているような、有限にして限界をもたぬ球体的な量となるだろう。それはもはや世界ではなく、その可能の無限の総体のなかに崩壊した世界となるだろう。(おそらく、この崩壊こそ、おどろくべくまたいとうべき「アレフ」なのである)」)と述べる。……西遊記の金角、銀角が瓢箪によってそうするごとく、世界を本と物語の中に閉じこめ、従属させてしまうボルヘスは、アム・ハッセフェル−−すなわち「本(ユダヤの律法書)の民」−−の人類史的伝統の上に自らを鍛えあげて来たと言えなくもなさそうである。
p48-49

  • 誕生の場所へ

 それでは、ジャベスの詩作品「砂漠」The Desertを第一行から即興的に日本語へと橋渡ししながら読んでいきましょう。


 "The word of our origin is a word of the desert, O desert of our words," wrote Reb Aslan.


「われわれの起源のことばは砂漠のことばである、おお、われわれのことばの砂漠よ」、レブ・アスランは書いた。
 砂漠と書くこと、砂漠とエクリチュールはここでひとつに結ばれています。起源は砂漠であり、砂漠はことばである。ここには、ジャベスの詩の大きな特徴である概念の入れ替えや変形、反復する波のうねりのような思考の痕跡があります。


 "There is no place for the man whose steps head toward his place of birth;
 "as if being born meant only walking toward your birth.
 "My future, my origin," he said.


「生まれた土地へと歩みを進める人間にとって場所というものはない、/「まるで生まれるということは、ただきみの誕生へと歩むことだけを意味するかのようだ。/「わたしの未来は、わたしの起源」とかれは言った。
 生まれた土地とは、生涯の直線的な時間軸上にある過ぎ去った始点ではない。「起源」や「生まれ」は、未来にも位置づけられる。むしろ、生まれること、生きることはひとえに誕生の場所へと歩むことでしかない。ということは、ここで意識されているのは「永遠回帰」する円環的な時間だということになります。そして未来でもある起源をめざす旅人の生涯の周囲には、物理的な空間が拓けることはない。永遠と瞬間がひとつに重なるような探求の歩みにおいては、三次元的なディメンションをもつ現世的トポロジーの外部にある場が想定されなければならないのです。p110-111

  • 物語のなかの物語、空白

こんな『問いの書』の一節を読んでみてください。


 「書物はどこに位置しているのだろう?」
 「書物のなかだ。」


 「おまえは、それぞれのページがひとつの深淵である書物についてゆくだろう。そこでは翼が名前で輝いている。」


 ブランショの言う、それ自身をさえぎることによってのみ完結する物語とはどういうことでしょうか? 比喩的な解釈をすれば、われわれは文をさえぎらないことには、つまり句読点や改行で区切りをつけないことには、物語を紡ぎ出すことができない。けれどもジャベスのテクストにあっては、そういう意味での物語は発生しません。ジャベスの「エクリチュール」は、かろうじてみずからのテクストでみずからのテクストをさえぎろうとするだけである。書物のなかに置かれた書物、とはそういうことかもしれません。そのことで、物語の小さな芽のようなものを書物の随所に植えつけることはできる。それがやがて成長して花が咲き、実をつけることはあるかもしれない。物語を延々と語りつづけることはせず、声は逡巡し、迂回し、語りで語りを一度さえぎって「空白」をつくることで、小さな物語の萌芽のようなものが、テクストの表面にわずかにふっと顔を見せる。


 ジャベスの詩集『小冊子を腕に抱く異邦人』にはこうもあります。


 《おゝ最初の書物のページ。砂漠は砂漠にしかみずからをゆだねない》。
p148-149