morning, blue, dragon

朝はやくのアダムのように
眠りで爽やかになり樹陰から歩みをすすめる
わたしをごらん わたしの通っていくところを、聞きなさいわたしの声を、近よってきなさい
触りなさい わたしに、きみの手のひらを触らせなさい 通りすがりのわたしの肉体に、
恐れてはいけない わたしの肉体を。
(「朝はやくのアダムのように」、ホイットマン『草の葉』、木島始訳)

 そのことが一層際立って感じられるのが、この時期のピカソが幾度となく盲人を描いているという事実です。「老いたユダヤ人」も眼がつぶれていましたし、「老いたギター弾き」も首をうなだれて眼を閉じて、盲目でギターを弾いているのでした。「セレスティーヌ」(一九○三年)も片目を失った老婆ですし、さらには盲人が手で水差しを手探りしながら貧しい食事をしようとしているあの恐るべき「盲人の食事」(一九○三年)もあります。なぜピカソは盲人を描こうとしたのか。不幸な人々のひとつのタイプとしてなのか、それよりももっと深く盲目そのものにかれはとり憑かれているのか。そうかもしれません。かれは盲目を描こうとしたのかもしれない。つまり、ものに触れることでものをつかまなければならないその極限にまで、見ることを押し進めて行ったのかもしれない。単に形を見るだけではなく、形を超えてそれに、つまり「生」に触れるところにまでみずからの「見ること」を極限化させたのかもしれない。そうならば、青はもはやただ不幸の色というだけではない、それは可視性の極限の色にほかならないのです。(小林康夫『青の美術史』p137)

・古人は神の前に懺悔した。今人は社会の前に懺悔している。
・たとい玉は砕けても、瓦は砕けない
・我々の最も誇りたいのは我々の持っていないものだけである。
芥川龍之介侏儒の言葉」より)


青の美術史 (isの本)
ホイットマン詩集―対訳 (岩波文庫―アメリカ詩人選)
或阿呆の一生・侏儒の言葉 (角川文庫)