KAWAMOTO Hideo, autopoiesis

飽きる力 (生活人新書 331)

  • 理論の「間接的活用」

 オートポイエーシスというのは、あらかじめ設定された観点であってはいけないのです。オートポイエーシスをあくまで道具として活用したい人は、経験を前に進めるときに,傍らにいつも手掛かりとして置いておいて,それを横目で見ながら、なおかつ前に進むという、そのように配置しておくのが一番いい。つまり、理論の「間接的活用」ということがとても重要なのです。
 あくまで前に進むための手掛かりにしているのであって、それを使っていろいろなことを説明したり、わかったりする理論ではないのです。かりにそうだとすれば、立場や観点になってしまいます。しかも、それを応用すれば、いろいろなことが実際に語れてしまう。そこが非常に難しいところで、多くの人たちは、使い勝手のよい道具を求めているのです。
 しかし、それでは、たとえば二年なら二年、使えるだけ使ったらそれでおしまいということになってしまう。このときに何がいけないかというと、オートポイエーシスの「構想」そのものが一つも前に進んでいないということです。さらにいえば、これまでの経験の仕方とは異なる経験の仕方があるということに気づくことができていないことです。オートポイエーシスというのは、確定した理論ではなく構想ですから、それ自体が進まなければいけない。そうすると、自分の経験が進むと同時に、オートポイエーシスというものが本当は何を語っているものなのかという輪郭がより明確になり、かつ定式化が変わっていくようにならなければいけないのです。(河本英夫『飽きる力』p83-85)