Christopher Nolan, Zupancic, Lacan

「彼らには想像できないのだ、神の存在を信じている者であっても、その神を完全に無視したまま生きることができる、ということが。」(『リアルの倫理』p147)
この言葉を読みながら、8月の終わりに見た映画を思い出していた。ダークナイトThe Dark Knight(2008年、米、クリストファー・ノーラン監督))である。ジュパンチッチはラカンの『精神分析の四基本概念』のある件を引用しながらこう述べている。

ドン・ジュアンは、欲望の充足の内に、彼を行為へと駆りたてる動因=欲動となる空隙を見る。彼の内で作用しているものは、欲望の喚喩−−いつまでたっても「真の」(欲望の)対象にたどり着かない欲望の横すべり−−ではない。彼は、「正しい」女性を追い求めているわけではない。落胆、失望に駆りたてられて、つまり手に入れた女性の内に見つけることができなかったものに駆りたてられて、新たな女性を求めるわけではない。彼にとっては、すべての女性が「正しい」女性である。彼を駆りたてるのは、まさに彼がこれらの女性の内に見つけたものなのである。彼は、目標に到達することなしに満たされる。より正確に言うなら、彼の目標は、ひとりの女性と関係をもった後に再び「フリー」になり、新たな女性を追いかけまわすことである。まさに欲動の男である。どれほど詰め込もうと、彼の欲動を形成する穴が埋められることはない。彼は、例えば、食欲の対象(対象)が食べ物ではなく、食べたいという衝動が与える満足それ自体であることを教えてくれているわけだ。「口−−欲動のレベルに開く口−−に食べ物を詰め込んだ時、その食べ物が満足を与えるわけではない。言うなれば、モグモグする口の快楽が、満足を与えるのである」。(前掲書第6章「悪」p160-161)

最後のくだりは、邦訳書では次のようになっているところだろうか。
「それでも皆さんは口に、つまり欲動という領域において開いている口に詰め込むことぐらいはできます。しかしこの口が満足するのは食べ物によってではありません。それはいわゆる口の快感、食べることの快感によってなのです」(精神分析の四基本概念』、ジャックラカン、ジャック=アランミレール編、小出浩之&鈴木国文&新宮一成小川豊昭訳、岩波書店、2000年、ISBN:4000236210、p222)

ジャック・ラカン 精神分析の四基本概念