Summer Wars, HOSODA Mamoru,

サマーウォーズ@TOHOシネマズ西宮OS

映画館で見るのは久しぶり。妻と娘と一緒に見た。何度も笑ったり泣いたりした。そして絵としても色づかいや動きなど見所も多い映画だったのだが、それでも前作(時をかける少女)より「後退」しているのでは、と思ったりもした。予定調和というか、あのおばあさんの笑顔にすべてが包みこまれてしまっている感じが、何とも「内向け」な感じで、応援してくれてるのはわかるが、日本にも田舎にも、もっと本当に応援を必要とする人が他にいるだろうに、と素直に映画の描く「日本的なもの」に自分まで収まる気にはなれなかった。

作っているひと(たち)は、「ナショナル」を自覚したうえで(そしてやはり「日本」を肯定したいだろう人々を観客の多くに想定して)肯定してみせているつもりなのだろうが、時期的にも微妙なものを感じる。流れ的には、個人の自立は煙たがられて、むしろ「空気を読め」のほうだし、逆に国家は無理にも「自立」させたがっている人々が増えている気配の昨今である。しかし周辺国の心配を無視してまで自立することが、大人な振る舞いといえるだろうか。たとえば国家に核をもつ選択肢があるというのは、なるほど「一人前」といえるかもしれないが、核をもつこと自体が「一人前」を意味するわけではない。

娘までが非常に肯定的に評価しようとするので、必要以上に批判的な評価になったかも知れない。映画そのものに罪はない。こういう映画を、いい映画としてみることができる平和な時代が、これからも続くよう努力することのほうが大切なのだろう。