Dear Doctor, NISHIKAWA Miwa,

ディア・ドクター@シネピピア。
八千草薫余貴美子の演技が光っていた。二人とも目がすごい。西川美和監督は、「ゆれる」のときには、言葉の表意的な部分でけっこうギチギチに攻めていた気もするのだが、今回は言葉の含意的推意的な部分にむしろ力点を置いているという印象。
暗闇に浮かぶヘッドライト。くねった山道のカーブをゆっくりと降っていく二輪車。たしかに蛇行しているはずの光跡は、実際には長く尾を引いているわけではないのに、すっと入ってきてずっと心に残ってしまう。そこですぐに浮かんだ微かな期待は、いったんは裏切られるのだが、この光の下降シーンは、映画の終わり近くで、やはり差異を伴いつつ反復されることになる。
降りていくことは、何ものかへの帰還(臨終、おわり)なのだろうか。それとも、下りていくことは、何ものかの降臨(誕生、はじまり)を意味するものなのか。降っていくことは、何ものかから逃げ去ったり、また何ものかを放下したりすることではないのだろう。下っていくことこそは、微かな光であり、約束という希望そのものが抱く逢着への寄る辺なき期待であるのかもしれない。
ラストの展開はさすがに読めたが、それでも爽快だった。ぎりぎりに抑制された画面のせいでもあろう。二度目はこのラストをどう感じることになるか。これも今後の楽しみのひとつである。