HAGIWARA Sakutaro

猫町 他十七篇』萩原朔太郎岩波文庫、1995年、ISBN:4003106237)を読む。

  • 「何が坂の向うにあるのだらう?」

 坂のある風景は、ふしぎに浪漫的で、のすたるぢやの感じをあたへるものだ。坂を見てゐると、その風景の向うに、別の遥かな地平があるやうに思はれる。特に遠方から、透視的に見る場合がさうである。
 坂が−−風景としての坂が−−何故にそうした特殊な情趣をもつのだらうか。理由は何でもない。それが風景における地平線を、二段に別別に切つてるからだ。坂は、坂の上における別の世界を、その下における世界から、二つの別な地平線で仕切つてゐる。だから我我は、坂を登ることによつて、それの眼界にひらけるであらう所の、別の地平線に属する世界を想像し、未知のものへの浪漫的なあこがれを呼び起す。
 或る晩秋のしづかな日に、私は長い坂を登つて行つた。ずっと前から、私はその坂をよく知つてゐた。それは或る新開地の郊外で、いちめんに広茫とした眺めの向うを、遠く夢のやうに這つてゐた。いつか一度、私はその夢のやうな坂を登り、切岸の上にひらけてゐる、未知の自然や風物を見やうとする、詩的なAdventureに駆られてゐた。(「坂」より)p87-88


猫町 他十七篇 (岩波文庫)